ひとまです

 

ひとまです

 

ひとまです。(正式? のハンドルネームは「一間ひふみ」です)

 

 

現在は娘J子と二人暮らし。

J子

 

J子は、出産時酸欠事故 で脳にごく小さな傷が残りましたが障害者まではいたらず。

正社員になれるはずもないのに、彼女のわずかなパートタイムの賃金からさえ、税金はひかれています。

まあ、最低ランクの課税ですが。(税金をたくさん払えるようになるのが、ひとまのひそかな野望です…)

 

ひとまはずっとフリーで働いてきたので国民年金です。

しかも、途中払えない時期があって、それさえ半分

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J子も国民年金を積み立て中…。

国民年金の金額では、老後の生活さえあやういのは、多くの方がごぞんじのとおり。

たださえ心配な、娘の将来が不安なひとまです。

*でしたが、去年ついに厚生年金にしてもらえました!

でも、よろこびはすぐ消えました。差し引かれる金額が増えて、もともと15万円に満たなかった日給月給が、1万円以上減っていたのです。

 

 

そんなこんなで、貧乏は相変わらず、赤の他人の世間だけでなく血縁の非情さなど、生きていれば避けられないもろもろもありますが、

先の大戦の戦禍でひどい目にあった方たちのことをおもえば…、それに比べれば…ず~~~~~ット、マシなのはたしか。

とりあえず大きな破綻なく、やっていけるかな、と、いつものように希望的観測をたよりに、ほそぼそと生きています。

 

2022年にとつぜん始まった、ロシアの信じがたい侵略にさらされているウクライナ国民はじめ、

多くの難民の方たちの悲惨な生活を見聞きするたび、

いろいろあるけど、まあ、いまのところ、命の危険は大きくない現在の日本にいるんだからと…。

 

ひとまはまだ生まれていなかったので、本や古いニュース動画でしか知らないけれど、1945年の終戦時…。

追い詰められてとはいえ、世界大戦の導火線にみずから火をつけた日本の、敗戦による終戦の悲惨なみじめさ。

それ以前、勝利を信じる日本人が多かった開戦直後でさえ、戦地に送り込まれたいっぱんの日本人兵のうち、戦争にひそかに反対だった皆さんの苦しさやいきどおりは、想像するだけで胸が痛くなります。

ロシアはじめ、かなりの数の国のトップが(自分や家族は安全な場所に身を隠しつつ)自分の利益やメンツのためにおこしたとしか思えないおろかしい戦禍が、いまも絶えないのは、残念でなりません。

 

当時、満州はじめ海外から引き揚げてきた日本人の悲惨さを、古いニュースや本で見聞きするだけでいたたまれないのに、

なんの落ち度もなかったウクライナへのロシアの侵攻、その後の人道もなにもない、ロシア兵による非道な行為は、ひとまのような凡人には恐怖をともなう驚愕でしかありません。

いずれ限りあるいのちを生きている身で、他人・他国をを支配したいという欲に、なぜとらわれるのか?

もしかして、この科学の発達した時代に、来世がある、生まれ変われるとでも、信じているのでしょうか?

地球という星にある材料・数えられる数の元素でできていて、化学式・分子式で書き表すことができるという(理科で習いますよね)わたしたちの肉体。

死ねば分解して、星という大地や空間に還っていき、もしかしたら、元素として別の人間や生き物の組成に組み込まれるかもしれないわたしたちの肉体。

どうして、おなじ自分に生まれ変わることがあるとなんて信じられるのでしょうか?

もっとも、土台、凡人のなかの凡人ひとまに、狂気に近い彼らの、支配欲がわかるはずもありませんが…。

 

五木寛之さんの本を読むと、優しい自分になれます

いつだったでしょうか?

ラジオで、五木寛之さんが、満州から引き揚げ当時の状況を語るのを聞きました。

2022年の9月に90歳になった五木寛之さんは、満州からの引き揚げのとき、まだ少年でした。

「自分や家族が助かるには、他人を押しのけ、死に追いやることもあるのが戦争…」と、

当時の自分の行動への自責の念で、つまりかけたノドから、絞り出すような声で、五木さんは言葉すくなに語っていました。

少年ながら家族を守るために命がけでとった行為が、他人を死に追いやったと、氏は苦しんでおられるのかもしれません。はるかにひどいことをしたって平気な人間も多い世の中ですが。

 

親鸞との出会いは、当時の行為の罪悪感に苦しむ五木寛之さんにとって、心の救済になったといいます。

ついつい、自分よりやけに幸せそうだったりすると、(なんだかな~)と、やっかみそうになったりしちゃうひとま。

まあ、そんな不完全人間ひとまだから、わが身をふり返って、他人の意地悪にも、目くじら立ててばかりいなくて済むのかも、ともおもいますが。

 

五木寛之さんの本を読むと、優しい自分になれて、ちょっぴり自分が好きになれます。

心がくじけそうになった日に

 

私の親鸞―孤独に寄りそうひと―

五木寛之
1932(昭和7)年、福岡県生れ。1947年に北朝鮮より引き揚げ。早稲田大学文学部ロシア文学科に学ぶ。1966年「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞、1967年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞、1976年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。著書は『朱鷺の墓』『戒厳令の夜』『風の王国』『風に吹かれて』『親鸞』『大河の一滴』『他力』『孤独のすすめ』『マサカの時代』など多数。バック『かもめのジョナサン』など訳書もある。(新潮社のサイトより)

肉体の外見と心の年齢差

顔をはじめ肉体は着実に老けます。

 

でも、こころはそんなに老けないみたいです。

なんにだって個人差はあるけれど、ひとまの周りの人たちは、異口同音、

「自分がこんなに年寄りだってこと、ときどき忘れちゃうのよね~」っていいます。

 

ひとまも同じです。

70代になってわかったのは、顔をはじめとする肉体は、たゆみなく年齢相応に老けていくけど、

(なんか、こころはあまり老けないなあ)

っていうこと。

なので、読書で若い登場人物になりきって余韻がさめないまま、ふと鏡に写った自分が目に入ると、

四六のガマじゃないけれど、脂汗が出る気分になったりします。

 

これは、ニュースのインタビューで、ひとまと同年代の老齢男女が、異口同音、似た答えだったので、

ひとまだけの特殊な感じ方じゃないらしいんです。

まあ、鏡さえ見なければ、若いころの自分になりきれるっていうのも、麻薬みたいに、覚醒後がちょっとせつないけど。(ちなみに、麻薬に手を出したことはありません)

 

長い人生、自分の利益のためにはためらわず他人を踏みつける多くの人間との遭遇もあったけれど、

ああ、世の中にはこんなにいい人もいるんだ!と思ったこともありました。

ざんねんながら、こういうひとは、やはり、とてもすくなかったけど。

もしかしたら、ひとまのほうに問題があったのかも…ともおもいますが。

「メモリー・北区から」では、できるだけほっこりできる話題を書いていけたらなと、思っています。

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