J子は、30余年通ったSバプテスト教会から、もっと小さなKバプテスト教会へ転会しました。
J子が、転会しました
J子が、この4月、転会しました
*転会は、「教会」を移ることです。
ひとまは、いわゆる信仰・宗教とは、まったく無縁な人間です。
父の妹の叔母は僧職の人と結婚して、いわゆる大黒さんと呼ばれていましたが…。
J子もまた、宗教に関心は見せていませんでした。
そんなJ子が中学三年の夏から、毎週日曜ごとに教会に行き始めたのは、もちろん宗教的な理由ではありませんでした。
いじめられることと同じくらい、「友達がいない」ことが辛かったJ子は、
中学3年のとき、一枚のチラシに出あったのです。
そこに書かれていた言葉を読んで、
・教会に行けば、友達ができる
・無視されずに、自分も輪に入れてもらえる
そう一途に信じたようでした。
そして、30余年のあいだ通った教会での結果は、J子の期待にほぼ近いものだったのです。
もちろん、教会に来ている人も、全員がJ子の理想・希望するような、心優しい、苦労人ばかりではなかったでしょうけれど、一般社会の人との付き合いよりは、はるかに居心地がよかったようです。
J子の至らないところを大目に見て、つきあってくださる皆さんのなかで、
自分の存在が、それなりに認められる喜びを、J子は知ることができました。
そんなJ子が、30余年慣れ親しんだSバプテスト教会からKバプテスト教会に転会したのです。
Kバプテスト教会は、戸建ての、小さな教会です
転会したのは、
これまで赤羽の雑居ビルにあったKバプテスト教会が、戸建てのちいさな教会を、距離はあるけれど、わが家から徒歩で行ける場所に建て、引っ越したからでした。
日曜ごとに通ったS教会は、かつて住んでいた場所からは比較的近かったけれど、いまの住所に移ってからはバスで片道40分ちかくかかっていたのです。
この4月に入って、J子は、Kバプテスト教会に通い始めました。
S教会のT牧師から、絵葉書きが
新しい教会に通い始めたJ子を気づかって、S教会の牧師(女性)から、百合の花の絵葉書きをいただきました。
K教会の牧師ご夫妻にも、J子をよろしくとお伝えくださったようです。
ひとまから、T牧師(女性)への礼状
温かなお心遣いのお葉書き、ありがとうございました。
娘が中学三年生の、七月。
そのころ住んでいた小豆沢の賃貸マンションの小さな部屋には、その午後、明るい初夏の日差しが射し込んでいました。
隣室から、飛ぶようにわたしの前にやって来たむすめは、紅潮した顔で一枚のチラシを差し出しました。
そして、
「お母さん! わたし、ここへ行ってもいい!?」
懇願するように聞いたのです。
当時取っていた新聞に折りこまれていたのでしょうか。
チラシは、Sバプテスト教会のものでした。
「信仰と関係なく、どなたでもおいでください」と書かれていたように思います。
反対する理由などありませんでした。
娘がなにかを自分の意志で選び取って前に進むことは、当時からいまに至るまで、母親のわたしにとってなによりうれしいことでしたから。
娘の脳にごく小さな壊死があると特定できたのは、中学一年生のときでした。
同時にそれが、出産時の酸欠によるものだろうということも。
親は先立たなくてはなりません。
その後の、ひとり娘の将来を思い、小学生のころから、努めて一人での行動を促すようにしてきました。
このときも、「あなたがひとりで行くのなら、もちろん、OKよ」
と答えると、娘は喜び勇んで出かけました。
この教会へ行けば、自分にも、きっと、たくさんの友達ができるのだと信じて。
こうして、志村バプテスト教会と娘の、今回の転会に至るまで30余年の長い年月が始まったのでした。
「志村教会はわたしの母教会なんだって。〇〇さんにね、『志村教会
は実家みたいなものでしょ』っていわれたけど、わたしもそう思う。
だから、転会しても、たまには帰るわ」
先日、娘は私にそういいました。
T牧師はじめ、これまでのみなさまの温かさは、
「志村教会に行くことがなかったら、わたし、生きていたくなかったと思う」
という娘のことばになりました。
本当に長い間、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いいたします。
みなさまにも、よろしくお伝えくださいませ。
J子・母
母親を、無理に招くことのなかった 30余年でした
Sバプテスト教会では、30余年、娘が通っていても、母親のひとまに無理強いのお誘いは一切ありませんでした。
時に鬱的傾向のあるひとまにとって、それは、とてもありがたかったのでした。
K教会での日々が、J子の人生にどんな経験をもたらすのか、
いま、ほんのすこしの不安とともに、よい展開を念じているひとまです。